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−夢紫五色・断想−
日々あれこれ思ったことを書き並べています。



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大切なもの
2008/09/30(火)
大切なものはすべて
この 記憶の中にのみ存在するのかもしれない

輝かしい未来も
充実の今も

昔 祖父母の家で聞いた 夕暮れの蜩の声に
そのわずかに湿り気を帯びた茅葺屋の小さな居間のうす暮れた空気の記憶に

勝るものではない


連年耕される田畑の様に
今も未来も鋤き込まれて記憶になっていくとしたら

人が老いても
老いてこそなお
死を忌避するのは

誰にでもある明日を望むためではなく
身とともに消滅する 記憶の中でしか存在を許されなくなった
大切なものをいとおしむ故か


真実
2006/09/27(水)
事実はひとつ

真実は人の数だけ


悔い
2004/05/04(火)
後悔しても仕方ないことは、しないと言う、
明るい強さに憧れたことがある。

今、身を苛むこの悔いは、
深く重く悲しすぎて、
後悔すらできない。

他人の姿は白光の下の鳥瞰図の様によく見えるのに、
何故
自分の姿にはこうも盲目でしかいられないのだろう・・・



2004/03/15(月)
春の夜は 闇に溶けた花の香が
街往く人に心地よい

始まりの季節はまた
終わりの時

行くあても帰る場所も失って
もう
涙を流す力すら残らない


焦燥
2003/12/23(火)
夕暮れ時 駅のホームに立つと
 行かなきゃ
と無性に思う

なぜ? そして・・・
どこへ?

永遠に帰る場所を持たない者は
どこかへ行くことではじめて
今いるその場所が故郷になるからかもしれない


希求
2003/11/30(日)
人ははじめから持たないものは惜しまない

一度手に入れて失った時

最も激しく追い求めるもの


知る過程
2003/11/22(土)
生きるとは それがどれ程悲しいことかを
知る過程にすぎないのかもしれない



不意をつかれて
2003/10/27(月)
寂しい仕組みはわかってしまったのに
不意をつかれてこぼれた涙は何なのだろう



努力
2003/02/16(日)
努力しても甲斐ないことは多い。
けれど、はじめから努力すらできないことは更に詮無い。

これから起こることなのに、傍観するしか許されない。
馬鹿のように時の過ぎるのを待つより他、術がない。
諦めるためですら成し得る何ものをも持たない。

そうやって、幾度めかの奈落を今日も、
一人でいざった。


断言
2003/01/01(水)
人はものが見えてくるほどに、
断言は避けざるを得なくなるものだ。

という所まではわかるようになった。


生きて
2002/12/28(土)
生きて、生きて
と、しぼる様に歌いあげるバラードを耳にして、
もう、随分以前に生の途絶えた人の姿が、
逆説の如く脳裏に呼び起こされた。

青春 と呼べる時代をわずかばかり共有した後、
10年の音信不通を経て届いた訃報は、
距離の遠さ故に一層理解し難く、
どうにも消化できないしこりとなって、
胸の内に留まっている。

20代はじめの誰もが輝く時期の姿しか知らぬまま、
過労死らしいと噂がたっても、
その死の瞬間を想像することは出来なかった。
光と風の中の笑顔、
そして時に強く、時に弱くあった、
確たる姿を更に強く想起するのみ。

人ひとりの存在は、重厚で濃密な記憶。
分かち合う相手を永遠に失って、
私だけに遺されたこの記憶を、
どこへ持って歩けばよいのだろう。


寛大と嫌悪
2002/11/10(日)
人は自らとまったく異なるものには寛大。
似ていて非なるものを最も忌む。

それは単に埋め込まれた種族保存の機能にすぎない。
ただの事実であり、真実ではない。

常に必要なのはそう知ることだ。


信じる
2002/08/07(水)
信じるということの本当の意味がやっとわかった。
正しいから信じるのではなく「正しいと」信じるのだね。
裏切らないから信じるのではなく「裏切らないと」信じるのだね。
簡単なことなのにわかるまで40年近くかかった。
楽になった。
そのかわり信じることの価値が地に落ちた。


暖房と冷房
2002/08/06(火)
暖房より冷房を使うほうが罪悪感を感じるのは何故?
人は本来寒さを生きる生物だから?
電気代や環境への影響なんてのを度外視してみる。
なのにやっぱり冷房には後ろめたさがつきまとう。
なんで?

人だけが手に入れた科学なる不自然の力で、
自然界ではあり得ないエネルギーの反転を試みているから、
体のどこかで知らぬうちに反発してでもいるのだろうか?

暖房より冷房に罪悪感を感じる。
理由はわからなくても、
この感覚は大切にしたほうがいい様な気がする。


子供の話
2002/08/01(木)
来春幼稚園に入れるつもりの子供がひとり。
直面する公園デビューのこと、避けられない近所づきあいのこと、やがて投げ込まれるPTA騒動のこと。
等。
考えていて、思い知らされる。

私はずいぶんちゃんと生きてきて、
もうすっかり自分の世界は方向が定まっていて、
だから育児は余生の楽しみと思っていたのに、
なんだ?
これからこそが私自身にとっても真の旅立ちなのか?

はじめて、
趣味・指向・価値観のまったく異なる集団に投げ込まれるのだから。

義務教育を終えて以後、自分の価値観で選択した進路で出会って来たのは、
多種多様とはいえ一定の方向性の持ち主ばかりだったのではないか。
同じものを選んだという意味で似た感覚の持ち主に囲まれて、
我知らずその心地よさに安住していたのではないか。

ちゃんと生きてきたなど思い上がりも甚だしく、
既に自分の世界が決定していると思うのも愚かしく、
まして育児を余生と感じることで現役引退気分でいたのは、
恐ろしく世間知らずの妄念だった。

本当の闘い、
初の外洋航海、
未知なる世界への旅立ち。

世間というものへ向けて、
私はやっとはじめの一歩を踏み出すのだと。


夕陽
2002/07/31(水)
昔、生き続けることに最も嫌悪感を抱いていた頃、
結局死を選択しなかった理由は、
夕陽だった。

高台の団地への帰路、坂道の上に見た夕陽は苛烈に美しく、
明日またこの美しさに出会うためなら、
生きていてもいいと思えた。

夕陽の見えない生活が久しい。
そろそろまた生の意味がわからなくなってきた。



2002/06/04(火)
腹の中で死んだ人は
体がだんだん透明になるのだという

顔も見せずに去る影に
親らしいどんな言葉がかけられよう

今は抱きしめてもやれないけれど
私が死ぬまで待っていてくれ


ようこそ
2002/05/31(金)
腹の闇に トクトク
他人がひとり トクトク

まだ人格も付与されず
形も魚なのに
人だと主調してポチンとやってきた

「ようこそ いらっしゃいませ」

とより他に何と言えようか

無事 生き延びろよ



2002/05/17(金)
家の前の小さなスーパーの入口に、
大型犬が三匹つながれていた。
買い物に入った主人の気配を必死でたぐり、
切なげにそろって同じ方向に首をのばしていた。

「人待ち顔」というものを、
久しぶりに見た気がした。

ずっと昔、私もこんな顔で恋人を待ったのだっけ。
待ち合わせ場所として有名なそこで、
同じ顔をした男女がたくさん相手を待っていたのだっけ。

今はもう、街で人待ち顔を見かけることはなくなった。
期待と絶望のはざまに時を彷徨うあのキリキリとした緊張は、
もう、ない。
昔日の揺らめきは犬のみが留めて。

人は確実に、
人の心は確実に、滅びへと向かっている。


40
2002/04/23(火)
自分の体調が悪化した時、必ず想い出す人がいる。
就職して最初に仕事を教えてくれた人。
5年前、40の誕生日の直後に独身のままガンで亡くなったお姉さん。

あと数ヶ月と言われてから生きながらえた一年半の間、彼女は何を支えに闘病できたのだろう。
口から物を食べることもできない長い一年半を。
それとも、短い一年半を。

そして、葬儀の時、誰かがつぶやいたひとこと。
「彼女も、40になれて、よかったね」

それ以来、私にとって40は特別な年齢になった。
私も、40に、なれるだろうか。


弛緩
2002/04/21(日)
幾たび至福の時が巡るとも
植え付けられた恐怖の記憶は消えぬ故
せめて 五感よ 今 弛緩してあれ
眼前の恐怖に気づかぬよう
立ち向かう勇気の苗木を守れるよう



2002/04/18(木)

渦の中にいる者には、渦の形は見えない。



自明の理
2002/04/17(水)
サイトの日記や随想で、他人様の気持ちや思惑が容易に垣間見られるようになった。
人によって生活や考え方があまりに違うのだとは、無論想像していた通り。
見ているものがここまで違うかと改めて思い知らされる。

でもまさか、自明の理だと認識していることまでが、人によってあまりに違うとは。
独自の価値観を世間一般の共通認識だと疑わない人がなんと多いことか。

独善的な「自明の理」を論拠に書き連ねる文章は、おかしな方向へ進んでいるのだけれど、本人は気づかない。
まして自信をもって他人を排斥する根拠にしているのは無惨な姿だ。

ぞくっ。
我が身を振り返る。
いや、振り返ったからとて見えないからこそ厄介なのだった。


誠意
2002/02/24(日)
誠意とは、ただあるだけではないよりマシ程度。
表現する行為なくしては意味を持たない。
誠意を伝えようと努力すること、
その努力をこそ誠意と呼ぶのではないのか。



2002/02/21(木)
間に立つということは、
誠意をもって嘘を並べたてること。
なのだなあ・・・。


もしも・続(理論)
2002/02/16(土)
昔、非の打ちどころのない理論を操り、
白を黒と言い換える人がいた。
同じ理論で矛盾無く、
再び黒を白に言い換えることもやってのけた。
多くの人が騙され、
騙されたことに気づかなかった。

そして私は、理論に真実は宿らないと悟った。


もしも
2002/02/09(土)
歴史にもしもはなくとも、もしもと問うことで真実が感得できる。
もしもあの時と後悔することに前向きの姿勢はなくとも、そのもしもが真実を悟らせる。

何かを知るのに必要なのは、理屈や理論、理詰めの考察だけではない。
それらの積み重ねの上に、どこかで想像力が飛翔しなければならない。
もっともそれは無意識のうちになされる。
意識的に行う者が、「もしも」を使う。

「もしもテロリストが日本にいたら、米国は日本を爆撃しただろうか?」
このもしもはあり得ないことなので、理論を操る者には簡単に却下されるだろう。
けれど、この問いから感得できる事実は案外膨大だ。


埋火
2002/01/14(月)
総ての希望が根絶された日
なおなおくすぶる期待の埋火

やがての再燃を不気味に予告し
腹の闇で嘲笑する


期待
2002/01/12(土)
期待 ほど厄介で性悪な代物はない。
がっかりするという最低の精神状態が、
唯一この 期待 によってのみ生じることを以てして。

頭がどれ程「そんなことはない」と理性の信号を送っても、
どこかヘソのあたりから「でも、もしかしたら・・・」と勝手に沸いてくる。
実に厄介。

本質的に他人まかせ、運任せ。
自力でどうこうできない領域の問題。
まことに性悪。

期待さえしなければがっかりすることなどないのに、
何故この感情は制御できないのだろう。
あまつさえ期待はずれなどと恥知らずの文言すら横行する。
勝手に期待して勝手にがっかりして、何が期待はずれだ。

期待は、なんとなく似ている希望とはまったく異なる、
ただのべったり甘えた感情にすぎない。

・・・といくら畳みかけても、
沸き上がる期待の大波を抑制できるわけでなし。
実に厄介、まことに性悪。


異形
2001/12/29(土)
異形を忌むのは人の本能。
全く異なるものよりも、似ていて非なるものをより忌み嫌う。
それは確かに、混血しやすい近隣種を排除することで、純血を保とうとインプットされているため・・・文化にしろ、実際の血にしろ。

そんな、いつとも知らぬ時代に誰とも判らぬものにインプットされた本能など、今は気持ちよく笑えばよい。
堂々と、異形を愛せ。


見ず知らずの命が、14でついえた日に。

My Diary Version 1.21
[ 管理者:まるさ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]